波里美知会

 TOPへ
掲示板へ
TOPICSへ

作品集(各ページの画像をクリックすると拡大します)
肉筆画 1 肉筆画 2 肉筆画 3 遺作集(1) 遺作集(2) 遺作集(3)
遺作集(4) 遺作集(5) 遺作集(6) 遺作集(7) 遺作集(8)  
s-1
title2
 砂漠の国、西アフリカ・ニジェールで貧しい人たちの医療に尽くして亡くなった夫・谷垣雄三君の遺志を生かそうと、妻・静子さんの絵画展を谷垣氏の活動の紹介とともに5か所で開いてきました。2018年7〜8月・松本市の信大医学部付属病院、あがたの森文化会館、12月・長野県駒ケ根市の博物館、19年2〜3月・神戸市のJICA関、同年6月・静子さんの母校、松本蟻ヶ崎高同窓会館です。
 1999年5月、静子さんは亡くなり、谷垣君は「私が死んだら、日本で静子の展覧会を開いてほしい」と、静子さんの肉親に書き残していました。谷垣君はその18年後に死去し、テッサワの自宅庭に静子さんと並んで眠っています。
 「静子を一人にさせない。自分も静子の横に眠るのだ」そう決意し、再び日本の土を踏まないことを誓っていました。静子さんがニジェール生活17年間に描き残した100点を超す作品の展示を他人に頼むしかなかったのです。
 谷垣君の悲痛な願いに、谷垣氏を支援してきたNPO「アジア・アフリカにおける医学教育支援機構」(東京・新宿、熊谷義也理事長)が応え、2018年1月、JICA(国際協力機構)ニジェール支所が2人の住まいから見つけた16点を故国に取り寄せました。
 「波里美知会」も応え、上記のように展示会を実現させました。作品は16点に続いて77点が発見され、さらにスケッチブックも見つかりました。当時、支所長だった山形茂生さんが、データにして「波里美知会」に送信してくれました。そのたびに展示品に加えました。
 作品ばかりか、夫妻の生活を伝える写真アルバムも提供してくれました。谷垣氏が1982年、ニアメ国立病院の医師として赴任した10年間のニアメ時代の夫妻の様子を伝えています。さらに谷垣君は車でサハラ砂漠を駆け「全土医療調査」を何度も行い、静子さんもスケッチブックを手に同伴し、そこから多くの作品が生まれています。
 肉筆画16点をはじめ、新たに発見された作品、スケッチ画など、展示作品を再編集し、「波里美知会」のみなさんに紹介します。多彩な作品にあふれた情念に圧倒されます。
 2人が寄り添って眠るお墓の写真も添えました。谷垣君が心血を注ぎ医療改革の実験も場、パイロットセンターは谷垣君の名前を付けた県病院」に、住まいは子ども好きの静子さんの名前を付けた産院付きの保健センターに生まれ変わりました。その写真も添えました。夫妻は砂漠の民に永久に語り継がれます。
 
(c)2001 copyright by 波里美知会
inserted by FC2 system